文由閣だより

@文由閣 vol.8

旅の最後にたどり着いた場所は

 

 朝日新聞の日曜版に別冊で折りこまれる「GLOBE」五月六日版を捲ると、懐かしい風景写真が掲載されていた。約二十年前に訪れたことがあるその場所は、今でも私の心の片隅にひっそりと佇んでいる。以前、この萬亀誌上にも書いたことがあると記憶しているが、改めて思い返すことにしてみたい。

 スペインとフランスの国境、そのスペイン側にポルボウという町がある。その町はずれ、地中海を見下ろす小さな共同墓地の一角に、ユダヤ人でありドイツ国籍の哲学者、ヴォルター・ベンヤミンの記念碑がある。現代彫刻家のダニ・カラヴァン製作の記念碑は、「パサージュ」と名付けられているが、その記念碑には、ベンヤミン著の『歴史の概念について』から、「名もなき者たちの記憶に敬意を表することは、有名な者たちや誉め称えられた者たちの記憶に敬意を表するよりもずっと難しい。歴史的な構築は、名もなき者たちの記憶に捧げられているのだ」、という文章が刻まれている。

ベンヤミンは、一九四〇年六月、亡命していたパリを脱出し、南へと逃げながらマルセイユ経由でスペインへ密入国しようとしていた。しかしスペイン側より入国を拒否され、決意してこの地で自殺を計り、翌日死去する。現在は記念碑脇の共同墓地に眠っている。その場所にカラヴァンが記念碑を制作した経緯は省くが、カラヴァン自身、この地で「死」の絶対性に対峙したのは間違いない。ベンヤミンが人生をともにしてきたもの、それはつまり「名もなき者たちの記憶」そのものと次々別れ、最後はその記憶を有する自分自身も死ななければならなかったという事実、そこに向き合い、「歴史的な構築は、名もなき者たちの記憶」を留めるための作品が、この「パサージュ ヴォルターベンヤミンへのオマージュ」だと言える。

私はこの地に来ることの他、もう一か所、行くべきところがあった。それが、「GLOBE」紙上に掲載されていた場所。バルセロナからブリュッセル経由でノルウェーのオスロに入り、フィヨルドを眺めた足で向かった先が、スウェーデンの首都、ストックホルムだった。ここに「スコーグスシェルコゴーデン」、別名「森の葬祭場」という場所がある。旅の最後にたどり着いた場所は、正しくここであった。この墓地はストックホルムの人口急増に伴う墓地拡張の必要性から、二十世紀初頭、既存の市営墓地の隣接地を国際設計競技によって開発するという画期的な事業として進められた。結果五十二の案から選ばれたのが、アスプルンドとレヴェレンツという二人の若い建築家の案であった。建設開始から約百年の現在も多くの死者が眠りについている。一九九四年にはユネスコの世界遺産にも登録されている。

さて、この墓地の特徴は大変美しい樹林墓苑であることは間違いないのだが、もう一つ大変特徴的なものが、「ミンネスルンド」、「追憶の杜」と訳される半世紀以上前から法的に認めれている匿名の共同墓地である。「GLOBE」より抜粋させていただくと、「そこにあるのは何の変哲もない、小高い丘。頂上へ続く小道の登り口に小さな標識が立っているだけだ。どこに祈ればいいのかわからない。これまでに七万人以上の遺灰が埋葬され、この墓地で火葬される人の半数がここに入ることを望むという。だが、どうしても墓と思えなかった。〈一体、何を感じればいいのか?〉。私は虚脱感に襲われた」と記者は記している。そして「旅の最終地にスウェーデンを選んだのは、このミンネスルンドが見たかったからだった。死後は家族関係を超え、平等の共同の世界へ――そんな哲学を掲げる墓は少子高齢社会が行き着く先、まさに進化形かもしれないと想像した」と続けている。二十年前の私の旅の最後も、この場所だった。そして記者が進化形と呼んでいる、死後は家族関係を超え、平等の世界へ、という部分はまさに東長寺の縁の会、結の会の思想とリンクしている。ミンネスルンドには、天涯孤独な人や、家族が遠くに離れて暮らす単身者のほか、子供や親戚に迷惑をかけたくない人も多く埋葬されている。それはまさに東長寺のスタイルそのものと言ってよい。しかしスウェーデンの場合は、国の責任として火葬や埋葬を行っているところが大きな違いではあるだが。そしてこの匿名の墓地は、今では全国数百か所に設置されており、今も増加傾向にあるという。しかしここ数年で人気が出ているのが、故人名を刻んだプレートを掲げられる共同墓地らしい。遺灰が埋められた場所にプレートを置くことで、「故人との接点や関係性を確認できるシンボル」として、認識されているようだ。これは千葉の真光寺や、気仙沼の清凉院で展開されている樹林葬墓苑と全く同じと言える。東長寺は地方の寺院の協力を得ながら、先進的な埋葬空間を提供していることが改めて確認できた。

 ベンヤミンの記念碑も、そしてミンネスルンドもそこには、「名もなき者(=匿名)たちの記憶」がテーマになっている。私たちが生きてきた記憶を、どのような形で紡いでいくのか。それは遺ったものがそれぞれに考えることではあるのだが、日本の場合は供養の在り方、埋葬の方法などは積極的に、寺院が提案することの必要性を強く思う記事であった。

涼仁拝

参考文献

・朝日新聞 平成三十年五月六日 別冊「GLOVE

葬送 世界のお墓で考える 高橋美佐子(文化くらし報道部記者)

・ランドスケープ批評宣言 INAX出版 記念碑としてのランドスケープ 手島二郎

・建築文化 二〇〇〇年十一号 特集ランドスケープ ‘80年代以降の現代ランドスケープの試み’ パサージュ ヴァルター・ベンヤミンへのオマージュ 手島二郎