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文由閣だより

@文由閣 vol.5

夏の記憶

 長崎で育った私にとっての夏の記憶は、海のきらめきと8月9日に市内に響くわたるサイレンの音、そして蚊帳の中を流れるゆったりとした涼風といえる。小さい頃は、よく父に連れられて海水浴に行った。そして中学生以降は、友達同士でバスに揺られ、家からだいぶ離れた野母崎まで出かけた。野母崎に隣接している脇岬海水浴場は長崎半島の南端に位置し、僕たちにとっては夏の思い出の場所の一つだ。部活の早朝練習の後、小さなバッグに水着とバスタオルだけ入れて、向かえばそこは天国だ。ひと泳ぎした後は、早起きした分の時間を取り戻すように、砂浜で眠りに落ちた。その頃は日焼けを心配することは皆無だったので、砂浜にそのまま横たわり、タオルを顔にかけてジリジリ照りつける太陽をまともに受けても平気だった。時折女の子の嬌声が聞こえると目蓋を開けて、横目でチラリと確認などしたが、そんなことより眠さの方が勝っていたのか、それとも声をかける勇気がなかったのか、判然とはしない頭でまたもや眠りについた。そこでの友人との会話がどんなものだったのか、あまり記憶にないが、それはたわいもない事であることは間違いあるまい。今後の人生に待ち受けている、厳しさや苦しさなど、そんなことを心配することもない穏やかな時間が流れていた。海の家を借りるお金もないので、トイレ横に設置してある冷水シャワーを浴びて砂と海水だけを洗い流し、水着を着替えもせず、短パンだけ掃いてTシャツを着れば、これで帰り支度は終了。帰りのバスの時間を待つ間、瓶のコカ・コーラをみんなで回し飲みして、バスに乗るやみんなで終点まで爆睡する、そんなことが日常に繰り広げられていた。

 8月9日は、登校日だった。長崎市内の小中高校はみんなそうだったと思う。11時2分には市内中に響くわたるサイレンで、1分間の黙祷を捧げた。私にとってこれは当たり前だった。今でも9日になると、「あ、9日だ」と思い至る。長崎で育った私の一つの原点だと、今でも思っている。

 私が生まれ育った家にはクーラーがなかった。夏は全部の窓を開け放ち、扇風機を回していた。当然、蚊が入ってくるので、いつも蚊取り線香を焚いていた。グルグル巻きの蚊取り線香のあの香りも夏の記憶の一つだろう。夜は蚊帳を吊り、家族全員で寝ていた。母からは蚊帳に入るとき必ず、「シュっと入りなさい」と言われ続けていた。今、蚊帳を吊る家が東京にあるのだろうか? 若い人たちは、蚊帳自体を知らないのであろう。窓を開け放って寝るなんて、なんて平和だったんだろうか。

 昭和40年代から50年代の片田舎のそんな夏の記憶が思い出されたのには、ちょっとした理由がある。7月24日より3泊4日で東京の子どもたちを東日本大震災の被害があった気仙沼に連れて行き、地元の子どもたちとの交流イベントに参加したからだ。今年で2回目となる今回は、地元の子どもたちと併せて総勢23名のキャンプを行うことが、大きな目的となっている。

 東京からは、小学4年生男女3名と、2年生の1名の計4名(引率者2名)で、24日新幹線で一ノ関まで向かい、車で気仙沼市内に向った。到着初日は、大雨にあったが、2日目からは晴天に恵まれた。自分たちのことは自分たちでを基本に、昼食の準備など親元を離れた子供たちは、地元NPO法人「浜わらす」のプログラムに参加し、田んぼの草取りや沢あそびなど、普段東京では体験することができない「田舎」のを満喫していた。

 3日目はメインイベントである地元の子どもたちとのキャンプだ。朝から協力してテント(4張)を張ったり、火起こしから始まる昼食の準備に取り掛かったりでてんやわんやの大騒ぎが続いた。火起こしは、なんと地元の女の子が「虫眼鏡」で、火を起こしたではないか。理科の実験さながらの出来事で、みんな大喜びだった。おいしくカレーを食べた後は、いよいよみんな海に出かけて海遊びをするイベントだ。「浜わらす」の大きな活動の趣旨として、「海にくらす子供たちを、海に取り戻す」というのがある。震災以来、物理的にも精神的にも海に近づくことができない状態になってしまった。そんな子供たちが本当の海の楽しさ、そして厳しさを学ぶ場としての活動が、この「浜わらす」の活動と言える。約40分かけて海にたどり着いた。これも震災の教訓で、車に乗らずに自分の足で歩くことにより、海との距離を体感することができるようになる。ライフジャケットを着て、いよいよ海に入りだした子供たちは、その冷たさにまずは驚く。東北の海はやはり冷たいのだ。ライフジャケットを来たままなので、基本「浮く」のだが、これが怖い子供たちもいて「浮く」練習から始める。海の中では海の楽しさを学ぶ。ここはプールではないのである。波はあるし、その波も一定ではない。そのようなことを「体験」として学んでいく。集団での学習が終了すると、あとは自由時間。ハンドボードと呼ばれる、小型のボードで波に乗る子、大人とじゃれあう子、ひたすら泳いでいる子など様々で、有意義な時間を子供たちは過ごしていた。そして終わる時間が来ると、「まだ、いたーい」という合唱が始まるが、時間厳守も重要な約束事。みんな海水をタンクからの真水で洗い流して、そのままの格好で来た道を帰っていった。そして東京の子どもたちと地元の子どもたちが一緒になって、歌を大声で歌いながら未だにある仮設住宅の横を歩いている姿を見て、少しは心の交流があったかなの実感することができた。そして、その時、そういえば私も子供時代、シチュエーションは違えでもこんな風にして、水着を着たまま家に帰っていたなと、ふと思い出した。

 子供時代の夏の記憶が、他の季節の記憶よりも鮮明に覚えているのは何故だろう。現代の子どもたちも、それは同じなのだろうか。子どもたちがテントの中で何を語り合ったのか、それは聞いていない。でも子供たちは、何かを話しているはずだ。それはきっとたわいもない事であるのは間違いない、私自身がそうだったように。でも、それが夏の記憶となっていくのだろう。

涼仁拝

2017年09月06日

文由閣だより

@文由閣 vol.4

余白の効用

 文由閣の周囲には、在来種を植え付けているマット状の緑地帯があり、二年目の冬を迎える昨年の十一月には、大胆に刈り込みを行った。当然、冬の間は枯れており、また落葉広葉樹であるモミジ類も葉を落としている。仕事をしている手を休め、ふと見上げた先には、自動車の走り去る姿を目に留め、また時々道行く人と視線が交差する。大きなガラス窓から差し込み西日の暖かさに助けられた日も幾日かありはしたが、普通は冬の曇天と同じく、色合いが少ない風景が広がっている。目につく色合いと云えば、信号が変わる時の青と赤と黄色、そして煉瓦色をした本院の奥に壁のように聳え立つマンションの外壁だけである。

 冬が過ぎ、出勤途中に目にした新宿南口に新しく植えられたソメイヨシノが満開の花びらをつけた、季節外れの暖かさが幾日が続いたある日、文由閣の周りでもちょっとした変化が現れていた。風に飛ばされたのか、それとも誰かが捨てたのか、菓子パンの袋の脇に小さな緑色の芽が出ていたのだ。本院のシダレザクラの蕾もまだ膨らんでいない季節だったので、少しばかり狼狽したが、それよりも今年も芽が出るかどうか心配していた頃合いだったので、まずはそっと胸を撫で下ろした。それは一年目の夏はとにかく水撒きに精を出し、枯れないように愛情を降り注いだが、二年目の夏は専門家からのアドバイスのもと、水撒きをほぼしない状態だったからである。それが如実に現れたのが、文由閣二階に設置しているプランターに植えられた植物達だった。そこには入口の左右に同じ大きさのプランターを置いたのだが、屋根の影響で雨が吹き込む側と吹き込まない側に分かれてしまい、結果一方が枯れてしまったのである。現在はプランターだけが放置されている状態になっている。そんなこともあり、芽が出るか、それとも枯れてしまい芽が出ないのか心配していたのである。

 街のいたる所のサクラ類も大きな呼吸をするようにできるだけ大輪の花をつけ、それでもあっという間に散っていく間も、モミジの葉はやっと枝の先々から現れ始めた程度であった。文由閣に植えられているモミジ類は、イロハモミジ、コハウチワカエデ、ノムラモミジの三種が植わっている。もとともは福島県石川町の種苗から運んだものであるが、その広大な種苗の中の場所も違えば、土壌も違い、それぞれの樹木の特性もあり、先天的な違いがまずはある。そして文由閣に植えられてからは日照、雨量、排気ガスの影響などの後天的影響がある。それら先天的、後天的な影響の組み合わせで今のモミジが成長しているのある。だからこそ当然、葉をつける時期も違えば色合いも違い、また成長スピードも違う訳で、植物を愛でる醍醐味は実はこのようなものだろうと一人合点するのである。

 そして季節は五月、現在はどの樹木もそしてマット状の在来種も葉を付けて、ジャングル状態になってしまっているではないか。あれだけ芽が出るのが恋しくて、葉が出てきたときの感動はどこへ行ったのか。歩道に大きくはみ出しているモミジの枝が通行人の邪魔になっているのではないかと心配し、またこれはあきらめるしかないのであるが、非常に強い外来種が在来種を駆逐するのではないかと心配している状態である。「冬の枯れている状態が恋しい」とは言わないが、人間の、いやいや自分自身の短絡的な気持ちの変化にただただ嫌気がしているだけだというのが正直なところである。

 そこで試しに、一、二本の枝を落とし、枯れている茎を取り除き、認識できる範囲の外来種を根ごと除去し、自らの席に着く。そうしてその場所を一目見、二目見ると除去した前との印象がだいぶ変わっていることに気付くのである。そうすると他の場所も触りたくなってくる。比較的曇り空の日を選んで、汗をかくこと半日、それなりの姿になってくるではないか。高いところと決断ができない場所は専門家に任せるとして、自分なりの「手入れ」を終わらせて気づいたこと、それは「余白」のことである。もしかしたら「余裕」ということにも通じるのかもしれない。物事、どんなものでも目一杯にしてしまい満足している風潮が、特に最近は多いのでないか。例えばスマホ。電車の中でも歩いていても、スマホを触り、見て、音楽を聴いている。スマホを見ている時の視界は、ほぼスマホの大きさである。その周辺にある物、起きている状況が見えず、またイヤホンをしていると同じ状況となる。それは「余白がない」ということができないだろうか。そして「余裕がない」ということに発展するのではないだろうか。周りが見えない、そして聴こえない。もしそれが現代社会だと、割り切って肯定するのは簡単だが、その「余裕のなさ」がもしかしたら様々な事象に少なからず影響しているのであれば、文由閣の周りの植物同様、ちょっとした手入れが必要だと、大きな窓ガラスを見ながら考える。そしてその効用が何かと問われたら、それはちょっとした気持ちの変化としか答えられない自分がいる。あるミュージシャンがラジオで云っていた言葉をふと思い出す。「スマホを忘れてしまったある日。ふと電車の窓ガラスを見ていると、きれいな夕陽が西の空に静かに沈むところだった。夕陽を見たのはどれくらい昔だっただろう」と。

涼仁拝

2017年07月04日

文由閣だより

@文由閣 vol.3

昨年の4月より9月まで、檀信徒の方々と曹洞宗の根本経典の一つである『修証義』を読み進めました。『修証義』は、曹洞宗の開祖、道元禅師の著された『正法眼蔵』から、その文言を抜き出して編集されたものです。よってそこに収められている内容は、歴代のお釈迦様をはじめとする歴代の祖師方が語ったこと、並びに道元自身の解釈などが存分に含まれています。『修証義』の総序はこのような文言から始まります。「生を明らめ死を明むるは 仏家一大事の因縁なり(人の生と死の因縁を覚るのは、すべての仏道修行者にとっての一大事である)」。

人間は生まれた瞬間から、死に向かう一方通行の旅に出ています。これは厳然とした事実です。お釈迦様はこの事実に対して、まずは知っておきましょう、と言っておられます。「“生と死”の中に仏の真理があるから、“生と死”を選り好みすることはありません」。人は、「私は、このお父さんとこのお母さんから生まれてきたい、あるいは何歳で死にたい」という希望は叶えられません。でも誰しも何時までも元気でいたいとか、死にたくない、と思ってしまいます。いやそうではなくて、「そのようなものから逃げ出さずに、でもそれを“覚り”とも思わず、ただただ“生と死”が、かけがえのないご縁であると腹を据えていきたいものであります」となるのです。人の“生”は、両親の“縁”から生まれたものです。まずはそのご縁に感謝するともに、そこから様々な生き物(動物、魚、野菜、穀物など)とのご縁によって、私たちは活かされています。新年にあたり、今一度「生を明らめ死を明むる」ということを素直に考えていけたらと思った次第です。

皆様良い一年でありますように、ご祈念申し上げます。涼仁拝

2017年01月08日

文由閣だより

@文由閣 vol.2

この度、『美術手帖』2016年11号の「ZEN特集」に東長寺の活動が紹介されました。東長寺は、1989(平成元)年、開創400年記念事業として、新伽藍を建立いたしました。禅宗の伽藍配置にならい、7つのお堂が適所に配置され、現代建築の合理性と歴史的な寺院建築の落着きをあわせ持つ寺となりました。この計画にあたっては、「現代の寺、都市の寺」であることをふまえ、人が集い、仏教にふれる場となることを念頭におきました。そこで人々が集まる場として設けた講堂は、竣工以来、現代美術を中心とする展示で、海外の作家を含め、これまでにない多数の意欲的な作家を紹介して参りました。現在ではこの講堂は、永代供養付き個人墓の納骨堂として生まれ変わっておりますが、新伽藍建立以来、「お寺は文化の発信地」という考えは、今でも当山運営のコンセプトの柱となっております。

昨年2016(平成27)年、伽藍の道向かいに建立した檀信徒会館は、『「文」化の「由」縁になる』ことを願い「文由閣」、命名しました。様々な建築上の工夫を凝らしましたが、これは「近代技術による伝統様式の追求」をテーマに建設いたしました。それは建物工事に留まらず、天蓋や鏧子(けいす)、五具足(ごぐそく)などの仏具などもこのテーマに沿っています。

「寺院も建物も工芸も、その伝統をそのまま引き継ぐのではなく時代の移り変わりによって新たな解釈を加えていくべきだ」という当山住職の思いを、日々の私たちの活動の中心においています。涼仁拝

2016年10月17日

文由閣だより

@文由閣 vol.1

東長寺では現在、檀信徒向けに「葬儀説明会」を開催しております。既に24回を数えますが、葬儀への関心が非常に高いように感じられます。ご自身が亡くなられたらどうするのか、ご家族のどなたかが亡くなられたらどうするのか、様々な理由があろうかと思いますが、一番は、「葬儀は自分ではどうすることもできない」ということが根本にあるのではないでしょうか。

ご自身が亡くなった後、火葬を含む葬儀全体は、遺族(家族とは限りません)が執り行わなくてはなりません。自分自身が歩いて火葬場に行けるわけでもない、自分で僧侶に頼むことができるのでもない、そんなある種「人任せ」の部分が不安で、心配なのだと思います。それに実際にかかる費用の心配もあるでしょう。

そして最後は誰も知らない世界に行かなくてはならない、それこそ「不安」がある訳です。「不安」は、「安らかではない」ということです。ではその「不安」をどのように取り除いていくのか、それが僧侶に期待される部分かと日頃から考えています。僧侶は、死後のことは語れません。何故なら私自身行ったこともないですし、経験体験したこともないからです。さらに云えば、死を間近に感じたこともありません。よって僧侶というものは、その部分を期待されながら、なかなか対応できないというもどかしさがあるのです。ただできることは、少しでも寄り添い、話しを聞いてあげること。私は出来得る限り、そのような僧侶になりたいと思っています。涼仁拝

2016年09月17日