文由閣だより

2017年12月21日

@文由閣 vol.6

遠くから波の音が聞こえてくる ~東北参拝旅行を終えて~

 通い慣れている国道でも視線の高さが違ってくると、その風景の移り変わりは、初めて見る風景に見えるから不思議だ。路面からだいぶ離れた大型バスから見える景色は、気仙沼本吉の日常とは、ちょっと違う見え方をした。そしてこの夏、子供たちと入った海も同じ静かな波を湛えながらも、少し違って見えた。

国道45号線、仙台市から三陸海岸沿いを青森市まで至る総延長662.7㎞のこの国道から見える風景は、2011311日を境に激変した。あるところでは橋が落ち、あるところでは瓦礫に道を塞がれ、あるところでは土砂崩れで埋没した。私がこの道を東京から車を走らせて初めて通ったのは、2011531日、今でもグーグルカレンダーに記されている。それから幾度となく通った道。その道が今また、激変している。復興という名の元に。

  人の記憶に根差したものの中に、「道」がある。それも大きな比重を占めている。私の場合は、学校までの通学路。ほぼ毎日通った道は、40年近く経った今でも色褪せない。当然その記憶の姿は当時の風景のままである。店の名前、信号機の場所、家の形、そして長崎に住んでいた私の場合は、それらと相まって坂の勾配が一番の思い出となっている。高校の前の坂をみんな「地獄坂」と呼んでいた。もちろん、私の記憶の道の風景は、実際には徐々に様変わりしているだろう。一昨年、久しぶりに帰省した時に通った道は、子供時代にはなかった道だった。だから風景は変わるのは当然だろう。私にとってそれは唐突だったが、地元に住んでいた者からすれば、それは予定された風景の変化であろう。

  東北沿岸部を縦断する国道45号線も、そこに住む人たちの日常の記憶が充満していたはずだ。通学の子どもたちいて、通勤する大人たちがいる。夏休みには国道沿道の海岸に、各地から海水浴客が向かった。国道と平行して海が見え隠れしながら走る鉄道も、それぞれの日常を抱えた人たちが乗車していた。しかし突然、津波によってその日常の風景が、それこそ日常と共に奪い去られてしまった。それから6年、国道は一見、昔の姿に戻ったかのように、正確には復旧したように見える。しかしそこは、何台もの大型トラックが土を満載して走る国道に変わり、橋は架け替えられ、所々路面がうねり、そして嵩上げによって国道の高さが変わってしまったところもある。列車も走らなくなり、むかし線路があった場所は線路が取り払われ、BRT(バス高速輸送システム)のためのアスファルト舗装になってしまった。そして、海が見えなくなってしまった。そう、風景が変わってしまったのである。子どもたちは傍に海があるのに入ることを許されず、大人たちは、その海を防潮堤と呼ぶ巨大構造物によって覆い隠している。これから生まれてくる子供たちは、この防潮堤の姿を日常の風景と認識するのである。今回の檀信徒参拝旅行では、私たちはそのことに注意を向けるべきであり、そして少しでもそれを和らげることを考えていくべきだと強く思った旅となった。

壁がどんなに高くなろうとも穏やかな海からは、遠くから波の音が聞こえてくる。私はきっとこの地が好きなんだと思う。そんな場所に、寄り添いたいと思う。

涼仁拝